今日は普通の日勤。ワクチン接種1回目の副作用も驚くほど自然と無くなり、本当世の中で言われている通りになったなと思っております。つまり2回目は熱が出るんですね。
今回は、タイトルにあります通り
シン・エヴァンゲリオン劇場版:||の感想を書こうと思います。社会現象になったエヴァンゲリオンシリーズの最終作です。私もつい最近ですがアニメから全部見ましたので満を持してシン・エヴァンゲリオンに臨むことが出来ました。以下ネタバレになりますので続きを読むからどうぞ(反転になります)。
[シン・エヴァンゲリオン劇場版:||]の続きを読む
スポンサーサイト
- 2021/09/29(水) 22:41:28|
- アニメ
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
今日はテレワーク。先日新型コロナウィルスのワクチン一回目を打ちました。ファイザー製で、世の中の動向通り腕の痛みが一日続きました。今は落ち着きましたので良かったです。
今回は最近読んだ本を紹介します。久しぶりに純文学を読みました。
・
隠し剣孤影抄 - 藤沢 周平
2004年6月に発売された本です。著者である
藤沢周平は日本で非常によく知られている小説家かと思います。そして藤沢周平の出身地は
山形県鶴岡市であり、偶然にも私と同じでした。
地元の偉大な小説家の作品を読まないというのは流石に恥と思い、今回初めて読んでみました。何を読むか考えた結果、短編集の集まりで過去に
「隠し剣鬼の爪」が映画化された事もありこれにしました。本作は、全部で
8つの短編で構成されております。後に発売された
「隠し剣秋風抄」も合わせると全部で
17個、いわゆる
隠し剣シリーズと呼ばれているものです。舞台は江戸時代でしょうか、全ての物語に
剣士が登場し、様々な理由で
決闘をしておりました。ですが、その様々な理由というものが実に人間的と言いますか決して美しいものなどではありませんでした。その多くが
愛欲でした。好きな女が不倫しているかも知れない、自分は逆に亭主として認められていないのかも知れない、そんな実に
人間的な理由で剣を振るう人たちばかりでした。そんな理由からなのか、めでたしめでたしと終わるものは殆どありませんでした。何かしら
遺恨が残り、それでも
剣とともに生きているという内容でした。何となく、
人生観を考えさせられるシナリオばかりでした。テキストはとてもテンポが良く、サラサラと読む事が出来ました。ただそれにはそれなりの
語彙力が必要で、私もわからない言葉は意味を調べながら読み進めました。一つの物語で
約50ページ、
計400ページを思ったより早く読み終わりました。次は続きを読むか、それとも別の作品にしましょうかね。これだけで終わらせず更に別の藤沢周平を読んでみようと思います。
純文学は、しっかりと言葉と時代背景を理解しないと裏側が見えない事がよく分かりました。もっと言葉を知りたいと思いましたね。
- 2021/09/27(月) 21:43:32|
- 本
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
今日は普通に仕事。世の中的には、今日を休みにして4連休といったところでしょうか。コロナ禍で中々旅行はしづらいですが、地方なら大丈夫ですかね。
先日ですが、実は
約1年半ぶりに吹奏楽のコンサートに参加しておりました。まだまだコロナ禍で終息が見えない状況ではありましたが、たまたま縁があってとある楽団にお世話になりステージに乗らせて頂きました。
自分がメインで所属している楽団が現在活動休止中で全然合奏が出来なかった事もあり、久しぶりの合奏はとても楽しかったです。もしかしたら、よく思わない人もいるかも知れませんね。何故なら
不要不急だからです。現在ワクチン接種が進んでいるものの未だに特効薬はなく、まだまだ
自粛が求められております。コロナを封じ込める一番簡単な方法は、
誰とも会わないことです。ですが、それは
不可能という事はこの1年半で良く分かったと思います。やっぱり、人は何か
文化的なものに触れないと生きている意味はないんだなと思いました。三大欲求だけを満たすのであれば、それは動物と一緒です。
知能があり理性がある人間がからこそ、文化的なものが発展し必須になったんだと思います。今コロナ禍でその文化的なものの優先順位は非常に低くなっております。ですが、
本来こうした文化的なものは最も優先度が高くなければいけないと思っております。利益がある訳でもなく技術があるわけでもないかも知れません。価値を測ることも難しいでしょう。そんな
曖昧なものだからこそ、探求する意味があり没頭するに値するのだと思います。自分は幸いな事に
吹奏楽のコンサートに乗ることが出来ました。また、
ビジュアルノベルという作品にも関わらせて頂いております。文化的なものを絶やさないように、コロナ禍と付き合いながら上手くやっていけたらと思っております。
実際のところ、練習も練習場に通うのも中々疲れました。だからこそ、達成感や一体感は素晴らしかったですね。同時に、喪失感も大きいですね。
- 2021/09/24(金) 22:00:54|
- 吹奏楽、管弦楽
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
今日はテレワーク。連休明けは中々エンジンが掛らずスロースタートになってしまいます。その代わり夕方位になって全開になるんですよね。
私のTwitterなどをご覧になっている人は知っているかと思いますが。私は
DDRが大好きです。かれこれ
20年以上の付き合いでして、今でも定期的にゲームセンターに通って遊んでおります。そして、最近そのDDRにおいて大きな出来事がありました。ここ10年ほどDDRを牽引してきた
TAG氏が、
KONAMIを退社しフリーランスになりました。TAG氏は元々DDRが好きなプレイヤーでしたが、その後
DDR Xから楽曲を提供しておりました。氏を代表する楽曲として
POSSESSIONがあり(
過去記事はこちらからどうぞ)、
DDRのボス曲の概念を一つ前に進めたものだと思っております。それからも様々なジャンルの楽曲を提供し、
U1-ASAMI氏とタッグを組みDDRを支えてくれました。TAG氏が退職後間もなく
gahou氏のYouTubeチャンネルでインタビューも行っており(
アーカイブはこちらからどうぞ)、これからも楽曲制作やダンサーとして活躍していきたいとコメントも有りました。既に
TAG氏のYouTubeチャンネルで幾つかの楽曲が投稿されております(
TAG氏のYouTubeチャンネルはこちらからどうぞ)。是非これからも応援していきたいと思いますし、また新しい形でDDRへ楽曲を提供して欲しいなと思っております。是非、TAG氏のYouTubeチャンネルやTwitterをフォローして応援して頂きたいと思います。
今までDDRを牽引して頂き、そして様々な楽曲を提供して頂きありがとうございました。 NAOKIがKONAMIを退社した時にDDR終わるのかなって思いましたが、TAGの時も同じ気持ちになりましたね。これからのDDRがどうなるのかよく見ていこうと思います。
- 2021/09/21(火) 21:34:08|
- DDR(BEMANI関係)
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
今日は休み。長野駅前をブラブラしてた時にたまたま雰囲気の良い理容室を見つけたんですけど、あまりにも対応が良すぎで感動してしまいました。多分通います。
今回は最近読んだ本を紹介します。結構自分が普段思っている事が書いてある本でした。
・科学と人間の不協和音 - 池内了(
紙の本、
電子書籍)
2012年1月に発売された本です。読んだ切っ掛けは、職場の上司からオススメされた事です。タイトルだけですとどんな内容なのか想像付きにくいと思いますが、冒頭数ページ読んでこれは自分的にとても納得感を得られる一冊だと確信しました。
現代社会にとって、科学技術を欠くことは出来ません。今インターネットが出来るのも、スマホで色々な情報を得られるのも、そもそも電気を使えるのも科学技術が発達してきたからです。ですけど、
世の中のどれだけの人が電気を発生させるメカニズムを知っているのでしょうか。また、インターネットが出来る理由やスマホでタッチ入力できる理由を知っているのでしょうか。前者はともかく、後者は殆ど知らないのではないでしょうか。
身近にありながら実はその実態を殆ど知らないもの、それが多くの人にとっての科学の位置付けです。この本では、そうした
科学と人間との関わり方の歴史を紹介しております。そして、科学により文明が発達していく過程で少しずつ
科学が置かれている立場が変わっていく様子を紹介しておりました。私自身も見失っていたのですが、
科学と技術は似て非なるものです。
科学とは本来は芸術と同様の文化的側面を持ったものです。誰もが疑問に思ったものを好きに研究し、解き明かしていくのが科学です。そこに
利益不利益といった概念は存在しませんでした。ですが、得られた科学を元に技術を発展させて文明を築いていきました。その中で科学の重要性に気づいた人間は科学に
付加価値をつけ、
文化的なものから文明的なものへと変えていきました。現在、科学を行いたい人は
国からお金を得ないと出来ないのです。それはすなわち
国の意向を無視できないということ、本来
自由であるべき科学にバイアスが掛かっているという事です。戦争に勝つために核兵器の開発をしなければいけなかった科学者、本来幾つもの課題を抱えている原子力発電所を安全と言わなければならなかった科学者、自分の意に反する事を半ば義務付けられた方は数多くいたと思います。そんな
科学と人間の不協和音をわかりやすいテキストで表現しておりました。是非多くの方に読んで頂きたいですね。面白かったです。
私は大学時代理学部でしたけど、工学部とは明らかに向き合い方が違っております。その関係が、まさに科学と技術の関係そのものだなとも思いました。
- 2021/09/18(土) 20:42:14|
- 本
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
今日は久しぶりの出勤。最近ガチで週1の頻度でしか出社してません。テレワークもだいぶ様になってきた気がします。逆に出社する時は出社した時でないと出来ない事を効率的にしないとですね。
最近ですが、タイトルにあります
キラー数独というパズルゲームにハマってしまいました。どんなものかというのは例えば
こちらのサイトで触ってみてください。基本的には
数独のルールと同じです。縦横どの一列も、そして3×3のマスの中も1~9の数字が一つずつしか入りません。ですがキラー数独にはこれにもう一つ条件が加わります。それは、
特定の範囲での合計値が書かれており、逆に
それ以外の数字は一切書かれていないのです。つまり、何もヒントがない状態から始まります。これ本当に解けるのか?と始めは半信半疑でしたが、色々と候補の数字をはめていくと自然と条件が定まり徐々に埋まっていくのが面白かったです。普通の数独にプラスして、
足し算引き算の慣れが関係してきます。また合計値を満たすパターンをどれだけ丁寧に検証できるかも大事です。とりあえず是非やってみて下さい。自分が紹介しているサイトでは、始めは
2×2から始まりそこから
2×3や
3×3と発展していきます。また同じ2×2でも
易しい・普通・難しいと難易度設定があります。そして極めつけは、
デイリーランキングや
ウィークリーランキング、
マンスリーランキングがあるのです。これは一般投稿の中で秀逸だったものを取り上げているのだと思います。それなりの難易度ですので骨が折れます。パズル好きな人はきっと気にいると思いますので、ちょっとした休憩に如何でしょうか。
私もパズルは好きですので、ついつい時間を取られてしまうんですよね。ハマりすぎると逆に抜け出せなくなりますので、そこは注意ですね。
- 2021/09/15(水) 22:46:56|
- 日記
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
今日は何もない休み。地味に土日何もない休みは一ヶ月振りでした。溜まっていた映画を見たりDDRしたりビジュアルノベルプレイしたり、いつもの休日でした。
今日は最近読んだ本を紹介します。著者の生き方について触れたいと思い読んでみました。
・
87歳。紫竹おばあちゃん幸せの花園 - 紫竹 昭葉
2014年5月に発売された本です。読んだ切っ掛けですが、NHKで毎週日曜日の朝8:00に放送している
小さな旅で知ったことです。帯広にある
紫竹ガーデン、そこの経営者であり
紫竹おばあちゃんの相性で親しまれた
紫竹昭葉氏の生き方に非常に興味を持ちました。そして一度放送された後にダイジェストで再び紹介されたのですが、この時昭葉氏が
他界された事を知りました。最後まで花に囲まれて閉じた生涯をもっと知りたいと思いこの本に出会いました。この本では、
紫竹昭葉氏の87歳までの半生を自身の言葉で綴っております。
エッセイですね。とにかく
自由に好きなように生きてきたという事、
夫を始めとした家族の事が大好きだという事、
やりたい事に時間は関係ないという事が伝わりました。本の中では、
何度も失敗して今の庭を作ったと書いてありました。元々素養もなかった自分がここまで出来たのは、
トライアンドエラーを繰り返したからだと言っております。確かに、これだけ多くの人に愛されているのであればそれも可能なんだろうなと思いました。
羨ましいとも思いましたね。氏の生き方は本当に理想的な生き方、ほとんどの人はここまで自由奔放に生きる事は出来ないと思います。ただ、氏もこんな生き方を始めたのは
63歳になってからでした。愛する夫に先立たれて、先の人生が見えなくなってから始めたのです。どんな人生にも
山あり谷ありであり、その積み重ねがあの紫竹ガーデンなんだなと思いました。合わせて、長女である
隈本かずよ氏のコメントも随所に書かれております。また、紫竹ガーデンの写真もふんだんに盛り込んであります。氏は亡くなってしまいましたが、氏が愛した紫竹ガーデンに行ってみたいと思いました。
この年齢まで最後まで自分らしく生きれるなんて、本当に幸せな人生だなと思いました。こんな人生を送りたいです。
- 2021/09/12(日) 19:19:34|
- 本
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
今日もテレワーク。ここ最近は週1でしか出社してませんね。だからこそ、その週1の出社の時は出来るだけ人と会話しようとしております。理想はやっぱり生の会話だと思っております。
先日ですが、
新しいディスプレイを買いました。今まで使っていたディスプレイは
2008年から使っていましたので、かれこれ
13年の付き合いになります。ちなみに、新しいディスプレイにしたのは今までのディスプレイが壊れたからではありません。理由は主に2つで、1つ目は
大きなディスプレイにしたかったという事です。今までのディスプレイは
20インチで、まあ一般的な大きさだと思っております。ですが、ビジュアルノベルをプレイする時に私はメモを取る関係で
ウィンドウモードにするのですが、どうしても
メモ帳とゲーム画面が重なるんですよね。慣れてましたので不自由はしてませんでしたが、そろそろ大きいのに買い替えても良いかなと思いました。新しいディスプレイは
EIZOの
FlexScan EV3285というモデルです(
公式HPはこちらからどうぞ)。サイズは
31.5インチで、メチャメチャ大きいですね。解像度も上がって、十分過ぎる広さになりました。2つ目は、
テレワーク用のサブディスプレイが欲しかったという事です。新しい職場になり、週の半分以上はテレワークになっております。基本的には会社に支給されているノートパソコンを使うのですが、仕事の性質上
どうしても画面が2つないと効率が上がりません。職場ではデュアルディスプレイですので、
同じ環境を作りたかったという事です。そこで、今までのディスプレイをテレワーク用にする事で実現しました。2つのディスプレイを実際に運用してみて、正直とても満足しております。どちらのディスプレイも十分に用途を満たしてますので、良い買い物だったなと思っております。これからも色々な意味で
生産性を上げていきたいですね。
本棚買ったりCDラック買ったりベッド買ったり、長野に引っ越してから自分の部屋好き勝手し過ぎな気がします。まあ、とっても満足なんですけどね。
- 2021/09/09(木) 20:20:12|
- 日記
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
今日もテレワーク。先週はちょっと忙しさが酷かったのですけど、今週は少し収まったので今まで出来なかった仕事をこなしてます。つまるところ、今週も忙しいです。
今日は最近読んだ本を紹介します。著者の熱量と拘りを感じる一冊でした。
・読書力 - 斎藤 孝(
紙の本、
電子書籍)
2002年9月に発売された本です。読んだ切っ掛けは、著者である
齋藤孝氏が日本語に対する第一人者だと知っていた事、そして改めて
読書というものの意義を振り返りたいと思った事です。私自身、読書というものをちゃんと始めたのは恐らくここ
4~5年だと思います。それまでは特に読書の習慣はなく、正直面倒くさいと思ってました。ただ、今でこそそれなりに本を読んでいる自覚はありますが、その
読み方が正しいのか間違っているのか、何か
効率的な読み方があるのではないかと常々思っておりました。そこで、何かヒントを見つけられればと思い手にとってみました。この本では、初め読書力というものはどういう物かを記し、その後読書によって
どのように自分を作る事が出来るかを書いております。全体を通して、
著者の熱量といいますか拘りを感じました。読書はするべきだというのはもはや当たり前で、更に
読み方や読むスピード、
読む量についてもハッキリと明示しております。現在の自由主義的な流れとは逆行するかも知れません。それでもこれだけ強い言葉で読書について語るという事は、それだけ
読書によってもたらされる恩恵を感じているからなんだと思います。ちなみに、本書で明示している読書力があるとは、
内容を"適切に"要約できる事だそうです。この適切に要約にたどり着く為に、
最低100冊は読んだ方が良いとも言っております。付け加えれば、簡単な本ではなく
精神の緊張を伴う本が良いとも言っておりました。簡単な道のりではないと思います。だからこそ、奥深さもあると思います。何れにしても、この本を読むことで読書に対するモチベーションは高まると思います。是非、著者の熱量に少しだけ付き合ってみては如何でしょうか。
この精神の緊張という言葉が素敵ですね。今まで読んできた本の中に、これに該当する本は幾つかありましたしそのどれもが名著に値すると思いました。これからも研鑽を積まないとですね。
- 2021/09/06(月) 21:08:14|
- 本
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
今日もテレワーク。ちょっと今週はやたらと忙しく、あっという間に一週間経ってしまいました。来週も続きそうで、ちょっと嫌ですね。
私、タイトルにあります
"デザインあ"というNHKEテレの番組が好きです(
公式HPはこちらからどうぞ)。これは文字通りデザインを取り扱った番組なのですが、対象はEテレらしく子供向けであり
身の回りの様々なものからデザインというものを紹介しております。ですが、今回この日記で伝えたい事はデザインあの魅力ではなく、今"デザインあ"が置かれている状況、そして
クリエイターと作品の関係についてです。
"デザインあ"の魅力として、
独特の音楽とリズム感で伝える番組スタイルが挙げられます。つまり、"デザインあ"において
音楽は切っても切り離せません。ですが、この音楽を担当している
小山田圭吾氏について一ヶ月前に大きな騒動が生まれました。氏のいじめ騒動がきっかけで、オリンピックの演出担当を辞退しました。そしてオリンピックに留まらず、
氏が関わっている番組が放送休止になりました。"デザインあ"も例外ではなく、
7月中旬から放送が行われておりません。
皆さんにも何か好きな音楽があると思います。具体的に好きな作曲家がいるかも知れません。では、
その好きな音楽を作った方や好きな作曲家が実は過去に悪いことをしていたと知ったら、あなたはその音楽や作曲家を嫌いになるでしょうか。好きになる嫌いになる、どちらの意見もあると思います。それだけ、作品と人物を切り離すということは難しいのです。これもまた、世の中の人が抱えるジレンマの代表的なものだと思っております。
私は、状況に応じて作品と人物との距離を変えたりします。言ってしまえば、
プロが作った作品は作品そのもので感じますし、
アマが作ったものは作品と人物の総合的な観点で感じます。目的が違いますからね。プロはシステムで動きますので、自分の感情以前にユーザーの要望に叶うものを作ります。一方アマは金銭の授受が発生しませんので、作品に多かれ少なかれ感情が混じります。そしてそれがむしろ作品の魅力に繋がっていると思います。
今回で言えば、
"デザインあ"の音楽や演出は好きです。だからこそ、小山田圭吾氏の騒動で番組が放送休止になるのがとても残念でなりません。
氏の人格が嫌いだから作品が嫌いという事、それは
氏をプロとして認めていないという事になると思っております。今回の件で作品が嫌いになった人は、
今までその作品の何を感じて好きだったのでしょうか。氏の人格でしょうか、音楽そのものでしょうか、まあきっとその全てなのでしょうね。色々書きましたが、私の願いは再び"デザインあ"が復活して欲しいという事です。今回の騒動を切っ掛けに、作品と人物について少し考えを巡らせてみては如何でしょうか。
- 2021/09/03(金) 21:40:16|
- 日記
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0